2010年 09月 14日
生存圏 |
まとまった時間が取れてネットサーフィンをしていたとき、気付いたことがあります。時代の閉塞感が骨が軋むように極まりつつある。それと連動して国粋意識が静かに広がりつつある。そう思えてなりません。
我が市は昨年まで工業製品の出荷額が県下一でした。日本大手企業の工場が2つあり、その下請けも多かったからです。しかし円高のあおりを食って従業員の海外派遣、海外工場での生産が増えて法人税は激減しています。高齢化率も21年度で25%を超えました。若者の就業する場所がありません。日本全体で報じられることと同じことが進行しています。
ぼくは観ていませんが9月7日のNHKクローズアップ現代で外国人による日本の山林買い占めが取り上げられたようです。江戸時代の鎖国について問う発言もネットで見聞きする。「この国の産業は空洞化する一方ではないか。内需のインフラ整備の仕事は激減した。老人ばっかりの国になる。若者の就業場所がない。外国人に国土を買い占められるのではないか、いったいこの国は何処へ行ってしまうのだ。どうやってこれから子どもたちは生きてゆくのだ。」こういう思いを持つ人が多いように見えるのです。
こういうときに人は強い指導者を求めます。
ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の党首アドルフ・ヒトラーは「我が闘争」(Mein Kampf)において「生存圏」(生存権ではない)という概念を唱えました。
生存圏(せいぞんけん、ドイツ語でLebensraum、レーベンスラウム、生活圏とも訳される)は地政学の用語であり、国家が自給自足を行うために必要な、政治的支配が及ぶ領土を指す。
生存圏とは国家にとって生存(自給自足)のために必要な地域とされており、その範囲は国境によって区分されると考えられている。ただし国家の人口など国力が充足してくれば、より多くの資源を必要となり、生存圏は拡張すると考え、またその拡張を国家の権利であるとされている。また生存圏の外側により高度な国家の発展に必要な、経済的支配(必ずしも政治的支配が必要ではない)を及ばせるべきとされる領土を「総合地域」と理論上設定している。近年経済の国際化が進んでおり、自給自足の概念は重視されなくなったため、生存圏理論を国家戦略に反映させることはなくなっている。(Wikipedia)
つまり時代遅れの概念であるということらしい。ヒトラーの著書は日本で読むことはできますが、現在のドイツではほぼ焚書扱いで、2015年12月31日まで一切刊行は罷り成らぬ、という事態のようです。あと5年。そのころ日本や世界の閉塞状況はどうなっているだろうか。場合によってはまた「生存圏」という亡霊が現れるかも知れない、或いはもう現れつつあるような気もする。
「世界の抱えている問題の多くは人口減少によって片付く」と書いた、骨太のジャーナリストの千葉敦子(1940〜1987:46才、癌にて没)氏は、死の直前にこう書いています。
「個人の充実した一生よりも子孫繁栄に価値を置くアジア文化圏では、中国のような強制的な手段を用いてさえ、人口増加を抑えるのも難しく、ましてや人口が減る状況を思い描くことは不可能だ。」(死への準備日記)
New Yorkを舞台に、ひとりの「個」として鋭い発言を続けた彼女の意見を聞きたい。「領土」とか「国粋意識」からほぼ無縁であった(が故に今余り顧みられない)彼女のことばを、再読によってもう一度聞かねばならぬ。彼女のように生きるのは無理ですが、時代を疾走して早死した彼女の言葉に生き抜くヒントがあるような気がします。千葉氏のことはまた改めて書きましょう。
我が市は昨年まで工業製品の出荷額が県下一でした。日本大手企業の工場が2つあり、その下請けも多かったからです。しかし円高のあおりを食って従業員の海外派遣、海外工場での生産が増えて法人税は激減しています。高齢化率も21年度で25%を超えました。若者の就業する場所がありません。日本全体で報じられることと同じことが進行しています。
ぼくは観ていませんが9月7日のNHKクローズアップ現代で外国人による日本の山林買い占めが取り上げられたようです。江戸時代の鎖国について問う発言もネットで見聞きする。「この国の産業は空洞化する一方ではないか。内需のインフラ整備の仕事は激減した。老人ばっかりの国になる。若者の就業場所がない。外国人に国土を買い占められるのではないか、いったいこの国は何処へ行ってしまうのだ。どうやってこれから子どもたちは生きてゆくのだ。」こういう思いを持つ人が多いように見えるのです。
こういうときに人は強い指導者を求めます。
ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の党首アドルフ・ヒトラーは「我が闘争」(Mein Kampf)において「生存圏」(生存権ではない)という概念を唱えました。
生存圏(せいぞんけん、ドイツ語でLebensraum、レーベンスラウム、生活圏とも訳される)は地政学の用語であり、国家が自給自足を行うために必要な、政治的支配が及ぶ領土を指す。
生存圏とは国家にとって生存(自給自足)のために必要な地域とされており、その範囲は国境によって区分されると考えられている。ただし国家の人口など国力が充足してくれば、より多くの資源を必要となり、生存圏は拡張すると考え、またその拡張を国家の権利であるとされている。また生存圏の外側により高度な国家の発展に必要な、経済的支配(必ずしも政治的支配が必要ではない)を及ばせるべきとされる領土を「総合地域」と理論上設定している。近年経済の国際化が進んでおり、自給自足の概念は重視されなくなったため、生存圏理論を国家戦略に反映させることはなくなっている。(Wikipedia)
つまり時代遅れの概念であるということらしい。ヒトラーの著書は日本で読むことはできますが、現在のドイツではほぼ焚書扱いで、2015年12月31日まで一切刊行は罷り成らぬ、という事態のようです。あと5年。そのころ日本や世界の閉塞状況はどうなっているだろうか。場合によってはまた「生存圏」という亡霊が現れるかも知れない、或いはもう現れつつあるような気もする。
「世界の抱えている問題の多くは人口減少によって片付く」と書いた、骨太のジャーナリストの千葉敦子(1940〜1987:46才、癌にて没)氏は、死の直前にこう書いています。
「個人の充実した一生よりも子孫繁栄に価値を置くアジア文化圏では、中国のような強制的な手段を用いてさえ、人口増加を抑えるのも難しく、ましてや人口が減る状況を思い描くことは不可能だ。」(死への準備日記)
New Yorkを舞台に、ひとりの「個」として鋭い発言を続けた彼女の意見を聞きたい。「領土」とか「国粋意識」からほぼ無縁であった(が故に今余り顧みられない)彼女のことばを、再読によってもう一度聞かねばならぬ。彼女のように生きるのは無理ですが、時代を疾走して早死した彼女の言葉に生き抜くヒントがあるような気がします。千葉氏のことはまた改めて書きましょう。
by yamachi_azumino
| 2010-09-14 19:03
| 折々