2010年 08月 25日
ウィキペディアン |
ブログを書くとき良くお世話になる媒体にWikipediaがあります。知っている方に今更説明する用もないのですが、これはネット上の百科事典です。手元にThe Wikipedia Revolution(早川書房)なる本があります。ジミー・ウェルズという創始者やその仲間たちが、苦闘しながらこの世界一の百科事典を創り上げてゆく様が、ディドロ、ダランベールなどフランス「百科全書派」付近の記述も含めて、パソコンの発展史とともに興味深く描かれています。
ジミーはWikipediaの4つの自由を述べています。著作物を複製する自由、改変する自由、再頒布する自由、そして改訂版を再頒布する自由。さらに営利目的に使っても非営利に使っても構わない。
当然アメリカで生まれたものですから、記事数は英語版が最も多く250万記事。日本語版は50万記事です(2009年現在)。では書いているのは誰か。分かりません。端的に言えば「無私の情熱」を持つ叡智ある人々によって支えられている。しかし誰かが執筆しても、その記事が信憑性に欠けるものならばすぐにチェックが入り直される。世界で15万人位の執筆者がいるらしいとあります。
誰でも執筆に参加できるのですが、かつて多くの「荒らし」にあってから、執筆するためには多くの「資格検査」があるようです。この「無謀」と言わざるを得ない企てが何故成功したか、そしてこれからの課題は何か、については本書に詳しく書かれていますので割愛します。この企ては「社会革新」であるために、アメリカの大学は学生のレポートにWikipediaからの引用を禁止している。きっと日本でもそうでしょう。どこの馬の骨が書いたのか分からないものは一次資料として認めないというアカデミズムは健在?です。
ジミー・ウェルズは「誰もが人類の知識の集合に自由にアクセスできる世界を想像してほしい。それこそ、私たちが目指す世界なのだ」と述べていますが、世界には百科事典などと全く縁のない貧しい国々が沢山あり、これらの国々の知識層にとってはWikipediaの記事だけが世界への窓を拓いてくれる。電気とパソコンとインターネットがあれば、リンクに次ぐリンクで一晩中勉強できるのです。但しご想像どおり中国や北朝鮮ではブロックがかかっていて出来ませんが。
ぼくは結構Wikipediaを信用しています。信用していますが、個々の記事の内容の濃さにバラツキがあるのは否めません。これは本書でも指摘されていることなのですが仕方のないことです。百科全書はトバ口に過ぎません。例えばぼくが敬する小林秀雄について検索するとツマラナイ事しか書いてない。当たり前でしょう、小林秀雄について書くということは小林氏くらいの知性が要る。とても怖くて書けないのが普通です。どうでもいいような芸能人については沢山記述がある。記事は誰かの手によって絶えず加筆、訂正され動いてゆきます。
書中、日本語版Wikipediaについての言及がありました。「匿名で記事を書き続ける日本人Wikipedianは、コツコツと礼儀正しく記事を追加していっている。」あまり「荒らし」もなく、真面目に「無私の情熱」によって日々パソコンに向かう連中の顔が浮かびます。きっとそのほとんどはオトコでしょう。オタクこそオトコの本領である。2009年当該書が刊行時、50万だった記事数が早く100万を超え、200万を超えるよう祈りたいと思います。
ジミーはWikipediaの4つの自由を述べています。著作物を複製する自由、改変する自由、再頒布する自由、そして改訂版を再頒布する自由。さらに営利目的に使っても非営利に使っても構わない。
当然アメリカで生まれたものですから、記事数は英語版が最も多く250万記事。日本語版は50万記事です(2009年現在)。では書いているのは誰か。分かりません。端的に言えば「無私の情熱」を持つ叡智ある人々によって支えられている。しかし誰かが執筆しても、その記事が信憑性に欠けるものならばすぐにチェックが入り直される。世界で15万人位の執筆者がいるらしいとあります。
誰でも執筆に参加できるのですが、かつて多くの「荒らし」にあってから、執筆するためには多くの「資格検査」があるようです。この「無謀」と言わざるを得ない企てが何故成功したか、そしてこれからの課題は何か、については本書に詳しく書かれていますので割愛します。この企ては「社会革新」であるために、アメリカの大学は学生のレポートにWikipediaからの引用を禁止している。きっと日本でもそうでしょう。どこの馬の骨が書いたのか分からないものは一次資料として認めないというアカデミズムは健在?です。
ジミー・ウェルズは「誰もが人類の知識の集合に自由にアクセスできる世界を想像してほしい。それこそ、私たちが目指す世界なのだ」と述べていますが、世界には百科事典などと全く縁のない貧しい国々が沢山あり、これらの国々の知識層にとってはWikipediaの記事だけが世界への窓を拓いてくれる。電気とパソコンとインターネットがあれば、リンクに次ぐリンクで一晩中勉強できるのです。但しご想像どおり中国や北朝鮮ではブロックがかかっていて出来ませんが。
ぼくは結構Wikipediaを信用しています。信用していますが、個々の記事の内容の濃さにバラツキがあるのは否めません。これは本書でも指摘されていることなのですが仕方のないことです。百科全書はトバ口に過ぎません。例えばぼくが敬する小林秀雄について検索するとツマラナイ事しか書いてない。当たり前でしょう、小林秀雄について書くということは小林氏くらいの知性が要る。とても怖くて書けないのが普通です。どうでもいいような芸能人については沢山記述がある。記事は誰かの手によって絶えず加筆、訂正され動いてゆきます。
書中、日本語版Wikipediaについての言及がありました。「匿名で記事を書き続ける日本人Wikipedianは、コツコツと礼儀正しく記事を追加していっている。」あまり「荒らし」もなく、真面目に「無私の情熱」によって日々パソコンに向かう連中の顔が浮かびます。きっとそのほとんどはオトコでしょう。オタクこそオトコの本領である。2009年当該書が刊行時、50万だった記事数が早く100万を超え、200万を超えるよう祈りたいと思います。
by yamachi_azumino | 2010-08-25 06:43 | 折々

